仙台高等裁判所 事件番号不詳 中間判決
主文
控訴本人が昭和二十二年十二月二十六日に同月十七日附の書面でした本件控訴の取下は無効である。
事実
第一、控訴代理人陳述の要領は次のとおりである。
控訴人は昭和二十二年十一月十七日原判決に対し控訴を申立て相手方に対しては同年十二月十一日右控訴状の副本が送達せられたところ控訴本人は同年十二月二十六日右控訴を取下げ被控訴代理人は右取下を承諾する旨の同月十七日附書面を当裁判所に提出したが右控訴の取下は次の理由によつて無効である。
即ち
一、裁判は理解と能力とを有する者の間の争を判断されることによつて意味がある、然るに控訴本人は高崎家事審判所(現高崎家庭裁判所)において同庁昭和二三年(家)第一号準禁治産宣告事件において鑑定を命ぜられた鑑定人追川基の同年三月一日附鑑定書によれば精神薄弱者にしてその程度は軽症痴愚者としその精神能力は十二、三歳の児童に比すべきもので、この状態は生来より引続き現在に至るもので将来継続するものと信ずというのである。従てこれに基き控訴人は尠くとも準禁治産の宣告をうけ得る状態にあつて同年三月二十四日には同庁において控訴人を心神耗弱者と認め準禁治産の宣告をなし北原初治を保佐人に選任している、従て控訴人は前示控訴取下当時は尠くとも右準禁治産の宣告をうけ得る状態にあつたものである。
民事訴訟法第五十条第二項(昭和二三年法第一四九号による改正前)によれば準禁治産者は保佐人の同意がなければ控訴の取下をすることが出来ないから準禁治産の宣告をうける程度の能力者は仮令未だその宣告をうけて居ないでも控訴取下の資格能力がない。従て本件控訴本人の為した控訴の取下は無効である。
二、敍上の理由がないとしても右控訴の取下は機械的になされたものに過ぎない、控訴人の右行為能力の程度では控訴の取下が訴訟法上実体法上如何なる効果を生ずるかを認識してなした行為ではない、只控訴人は相手方弁護士の謂うがままにこれが控訴人の最善の方法であると誤信して只その最善なる事のみを主眼として取下の直接効果を考慮することなく、同弁護士の指導するままに取下書に機械的に署名し要求のままにこれを同人に交付したに過ぎないのである、未だ何等確定の契約条項を定めた示談契約書の作成もなく只相手方の要求に基き差入れた取下書に過ぎない、従て準禁治産宣告前であれば実質的無能力者の本件控訴人でも自由に取下げ得るとしてもその控訴取下の訴訟法上の効果について認識を欠いて居つたものというべきで此の点においても右取下は無効である。
三、本件控訴取下は取下書提出の委任関係の無効に基くもので控訴人の意思に反する無効の取下である、控訴人は第一審で一部敗訴したが未だ十分に争う余地のある訴訟である、従て敍上の如き能力の控訴人自身が仮に進んで控訴の取下を相手方弁護士に申出でたとしても同人は控訴人側の弁護士に相談すべきである、然るに本件においては全くこれと経緯を異にして控訴取下書の提出を見るに至つたものであつて此の点においても右控訴の取下は無効である。
四、本控訴取下書は被控訴代理人弁護士田中徳一方で控訴本人が署名し同人に交付したものであるが右取下書の無効の交付とその提出の無効の委任をなさしめたものであつて同弁護士は法律上その取下書を裁判所に提出すべき性質のものではなくその提出は本人の真意に基かない不法の提出となり裁判所には何等適法な委任関係に基かない無効の提出であつて此の点においても右控訴の取下は無効である。
五、右控訴の取下は控訴本人が準禁治産宣告前の行為であるが民訴法第四十五条には「訴訟能力は同法に別段の定ある場合を除く外民法その他の法令に従う、訴訟行為をなすに必要なる授権亦同じ」とあり、民法第十二条には「準禁治産者が訴訟行為をなすにつき保佐人の同意を得ることを要する」旨定められている、従て之等の規定や民訴法第五十条を対照すれば控訴人の如き未だ準禁治産の宣告をうけない前でも特別に許された民訴法第五十条第一項の訴訟行為以外にはこれを有効に為すことが許されないこととなる。
従て前示控訴取下の行為は尠くとも民訴法第五十条第二項に照し無効である。
六、右控訴取下は控訴人の心神耗弱に乗じ取下書を交付せしめたものであるから刑法第二百四十八条に該当する行為に基くものであつて無効である。
七、本件控訴取下は被控訴人側の欺罔行為に基くもので無効である、被控訴人等は控訴人に対し抗争の余地ある訴訟を控訴をなす理由なしと思わしめ控訴を取下げるのが最善の方法であると思はしめてこれを欺き控訴権を不法に放棄せしめ因て以て財産上の利益を得んとしたものであつて刑事上罰すべき行為によつて為された本件控訴の取下については民訴法第四百二十条第一項第五号の類推によつて取消し得べき行為であつて控訴人は右控訴取下を其後撤回取消した所以である。
被控訴代理人は控訴人主張の控訴取下の無効並取消原因を否認し仮に控訴本人が事実上準禁治産者であるとしても保佐人の同意を得なければならぬのはその宣告をうけたときからであつてその効力は既往に遡らないから準禁治産の宣告以前になされた本件控訴の取下は保佐人の同意を要しない、従て控訴人のなした本件控訴取下は有効であると述べた。(立証省略)
理由
昭和二十二年十二月十七日附控訴の取下と題する控訴本人の署名捺印しある「原審判決(控訴人一部敗訴」は全部正当で控訴人はこれを争う意思毛頭なく控訴は全部取下げる旨」の書面(記録三一八丁)が同年十二月二十六日当裁判所に提出されたことは記録上明白である。
よつて右取下書の効力について審按するに成立に争のない乙第二号証第八号証、第九号証の一、二、三第十五号証の一、二第十乃至第十五号証の各一、二、当審証人北原初治、本間誠治、前田昭淵の各証言当審における控訴本人及び被控訴本人(一部)各訊間の結果を綜合すれば控訴人は精神薄弱者でその程度は軽症痴愚者でありその精神能力は十二、三歳の児童に比すべきものでしかもこの状態は生来より引続き現在に及び将来も継続する性質のものであつてそのため昭和二十三年三月二十四日高崎家事審判所で心神耗弱者として準禁治産の宣告を受けたこと、控訴人は本訴係争物件を使用して豊田屋旅館を経営していた先代園原マチの死亡によりその家督相続をしたけれども精神能力が右のような状態であつたので事実上右旅館の経営には姉北原志げ夫婦が当つてきたのであるがたまたま昭和二十二年十二月初頃姉志げと喧嘩をして家出し一ケ月以上も帰宅せずその間度々被控訴人の訴訟代理人田中弁護士方に出向いて同弁護士の指示によつて最初は本訴で争つたことにつき被控訴人松葉喜助に対する詫状の積りで「控訴の取下」と題する書面を作成して(記録三三七丁の書面)同弁護士に交付し、次いで田中弁護士の用意した前示昭和二十二年十二月十七日附控訴取下書に署名捺印してこれを同弁護士に渡し、同弁護士から当裁判所に提出されたものであること、右につき控訴人は姉北原志げ夫妻や控訴人の訴訟代理人には少しも相談せず、また控訴取下の法律上の意味やこれによつてどんな結果を招来するかというようなことについて十分の理解もなくただ控訴を取下げれば控訴人の身の立つように取計らつてやるという漠然たる相手方弁護士の話に信頼し同弁護士の指示のままに右取下書に署名捺印したものであること以上の事実が認められこの認定を左右し得るに足る措置し得べき証拠はない。
而して僅か十二、三歳の児童に比すべき精神能力しかもたない控訴人が以上認定のような事情の下において署名捺印した前記控訴取下書による控訴取下は法律上無効であると解するを相当とする。
よつて主文のとおり判決する。(昭和二六年三月一二日仙台高等裁判所民事部)